お月様、ヒナドリ、とろけたマーガリン

映画やマンガ、ゲームなどの無知と偏見に基づいた感想

【アニメ】『どうにかなる日々』の人形演技

 アニメ映画『どうにかなる日々』を観てきた。

 最高天才スーパー情緒神画力マンガ家・志村貴子先生原作の同名マンガのアニメ化作品。以下マンガ版のあらすじ。

ちょっと変わった恋愛模様とありふれた日常を、独特のテンポと繊細な心理描写で淡々と描いたショートストーリー集。基本的に1話完結のオムニバス形式で収録されている。大人の男女の組み合わせだけでなくゲイ、レズビアンや近親相姦さらには幽霊といった様々なキャラクター同士が絡むエピソードが描かれる。淡白な描き方ではあるが、ほとんどの収録作に直接的な性描写がある。

どうにかなる日々 - Wikipedia

 私は元々原作マンガを描かれた志村貴子先生の大ファンで、ただ、申し訳ないのですが、これまで志村マンガ原作のアニメに辛酸を舐めてきた過去があり…。

 今回もすごく不安を抱えながら特典付きムビチケ(前売り券)を買い、コロナ禍で延期された公開日を陰鬱な気分で待ち、重い足取りで公開初日に劇場へ向かったという、およそファンらしからぬ態度で臨んだのです。

 その結果…。

何度ドリンクをスクリーンに投げつけてやろうと思ったことか!!

 内容やセリフがいくら原作通りでも、絵柄を忠実に再現しようとも、こんな映画やアニメの基本もなっていない様なモノ、断じて認めん!!!うわああああ!!

 もう、シーン1つ、カット1つ取っても、その分かってなさが端々まで蔓延していて、何度舌打ちを飲み込んだことか!

 例えば、原作では「えっちゃんとあやさん」という題名のエピソードから以下のシーン。

画像1

 ちょっとアニメ版の該当シーンを用意できなかったのですが、アニメ版ではこのシーン、映画を観る2人を真正面から煽り気味に描いていて、2人が人形か何かみたいに背筋を真っすぐのばして、顔も視線も正面を真っすぐ見つめているのです(そして申し訳程度に手を重ね合わせている)。

 そこには何も感情を感じさせない。何かそこから(頑張って)感情を読み取ろうとするならば、「2人で映画を観ていて気まずいの?」とか、「手を重ねているのが嫌だけど言い出せないという緊張感?」とか、または何か心ここにあらずな様子に見えてしまう。

 しかしどうやら、そのどれでもないらしいことは前後の話でも伺える(少なくとも原作はそんな展開ではなく、それを改変しているわけでもなさそう)。

 少なく見積もっても、知り合ったばかりの2人の女性が徐々に親睦を深めていく途中というシーンなのに、そういった機微が全然描かれていない。そんなことが全然伝わって来ない。しかもその静止画が数分止め絵で続く…。

 引用したマンガ版のカットには、そのアニメには足りていなかった全てが!一切のセリフもなしに!2人の姿勢だけで描き出されているのにですよ!↓

画像2

 こんな素晴らしい作画がなされているマンガを原作にしておきながら、よくもまあ、あんな人形芝居をさせられるな!?と怒りに打ち震えたわけです。

 もしかしたら、象徴的に2人の頭上に映写室からの光が輝いていたりして、何か映画のオマージュかもと思うけど(500日のサマー?セッション?映画観てるカップルなんてシーン、ありふれ過ぎて特定できない)、それにしたって、あんな人形演技させる意味が分からない(SEにはそれぞれ実際の音を収録しているのか、何か「生っぽさ」を感じさせる音を選んでいるから)。

 一事が万事この調子で、おそらく監督(1エピソード毎に「演出」及び「作画監督」も付いている)は描かれているキャラクターの感情を理解出来ていないのではないか?と思わせるほど、何も描いていない!

 徹頭徹尾、セリフや、シーンの切り替わりのテンポが悪いし(オフビートとかでもない、気持ち悪い間の悪さ)、濡れ場や妄想を直接描かないイメージシーンを、薄ら寒いオヤジギャグ(ゲイの教師が男子生徒に恋心を抱くシーンで薔薇を咲かせる等)でやりやがって…(というか、これも『どうにかなる日々』原作にしておいて濡れ場描写から逃げてんじゃねえよって思うけど、これはまた作劇とは別の話かな…レートとか…)。

 なんというか…。私は志村先生の他作品でもこういった、先生の神作画から紡ぎ出される登場人物の感情の機微を摂取していたのですが、違うのでしょうか…。私のほうが間違った読み方をしているのでしょうか…。多作品のアニメ化でも、ことごとく私が大切にしている大好きな部分が削ぎ落されていて、今回もそうで、もう完全に小煩い原作厨が騒いでいるかの様な無力感を胸に劇場を後にした金曜日でした…。

 

■2020.11.07追記

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原作版パンフレット(パンフ+色紙)、週替わり来場者特典マンガ

 結局、週替わり特典が欲しくて、3週連続で観に行ってしまった。パンフレットのスタッフ対談もいろいろ読んだ。歯ぎしりしながら読んだ。

 やっぱりこの監督とは思想が相いれない・・・。

 例えば、原作に関する以下の発言群。

この作品の売りはセクシャルな表現ではないということ。だからそれをショッキングに見せることもしない

(パンフレットp10より)

 

”当たり前のものとして全部等価値で描きたい″

(パンフレットp10より)

 

佐藤さんから、性描写は、特別なことじゃなくて、普通に日常で食事や運動をしているみたいな感じで、その自然体の流れの中で描きたいというのがありました

(パンフレットp10より/※演出の有富氏が佐藤監督の過去の発言を要約して語ったもの)

 なんていうか、こういう細かい認識が違っているのだから満足できなくて当たり前かと思った。

 志村作品の、特に『どうにかなる日々』の魅力は決して、性描写を食事や運動と「等価値」では描いていないというのが私の認識で、例えば、食事シーンのロマンチック指数(特別性/描写的官能性?)を仮に「10ポイント」とした場合、従来の、性描写がロマンチックに描かれたマンガでの性描写の官能性は「50ポイント」程度だと思う。それと比較した際に、本作での性描写の官能性は「15ポイント」程度まで低くなってはいるが、決して「等価値」ではないというのが私の認識。

 どう考えても現代社会でセックスと食事が同じ感覚というのは、SFか何かで描かれこそすれ、そんなことはあり得ないと思う。(それを描いた藤子・F・不二雄先生の異色短編集の一編『気楽に殺ろうよ』は最高

 重要なのは、本作は性描写の価値を落とし(ロマンチック指数の低減)こそすれ、平等にはしていないということ。それをきっと作者は自覚しているからこそ、この短編集に「性」という一貫性(≒テーマ)が生じているのだと思う。ひいては作風とも言える。だから好き。

 それを映画製作者は認識を違えているから、本映画は原作マンガを読んだ時のような優しさや温かさ等の機微が排除された平坦な読み味(観味?)になっているんだと思う。